「死の医学」への日記


「死の医学」への日記
死ぬ場所といえば病院が当たり前になったのは、ここ数十年のこと。
それだけに、死が生活と切り離されてしまう。
ある婦人の在宅ケアの例。
辛そうに闘病している婦人の子どもが、足許までしか近寄らない。それを見た婦人の母、つまり子どもたちの祖母が、「お母さんはこうして病気と闘っているのだ」と教える。こうして、子どもたちは生老病死を学んでいくのだ、という話が印象的だった。

もう一つ印象的だったのは、教育・研究が目的の大学病院との対比で描かれる、東京衛生病院。
キリスト教系の病院なのだが、重篤な患者の病室で跪いて祈る看護婦が見られたり、実習に来た看護学生達が、苦痛のために意識障害まで起こす患者にショックを受け、夜に再来して一人ずつ患者の手をとり祈りをつぶやく。その心。なんという心。

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